魅せられた。

引っ越し準備作業の合間に、昔のDVDを観ています。

今回は、リヴ・タイラー主演、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『魅せられて』(1996)。


最初は、トスカーナの美しい自然が舞台だというので観た記憶が。

しかし全編に漂うラテンの放縦なエロティシズムにやられてしまい、その後あまり観ることはなくなっていました。


が、すみません。ワタシマチガッテマシタ。

といいますかこの映画、観る人の年代によって、印象深いシーンが変わってくるんですね。
おそらく性別によっても変わってくる。

映画には多少なりともそういう要素があると思いますが、
これはおそらく"主人公の父親捜し"というテーマを選択した故だと思います。


20年前の一人の女性のトスカーナ滞在。

その出来事が形を変えて、美しい娘となって同じ場所に現れる。
娘には若い男たちが群がる。20年前の母親もそうだったように。

母が愛を交わした男性は誰?
そして、私は誰と交わした愛を思い出に生きていくのだろう?

そんな少女のアイデンティティ探しの旅に、リヴちゃんのクラシカルな美貌も手伝って、
ぐいぐい引き込まれてゆくのです。


余命いくばくもない男の役を演じたジェレミー・アイアンズは好きな俳優です。
父親のような親密さで主人公と関わっていくおいしい役どころのせいか、私は感情移入しまくりで、「こんな時に君を見ていられることが出来て幸せだった」という死の瀬戸際の台詞には、もう涙ダダ流れでした。


若い女の子はリヴ・タイラーに、男の子は彼女を取り巻く青少年に、お父さんたちはジェレミー・アイアンズ他の中年俳優に、妙齢の女性は多分レイチェル・ワイズに、それぞれ自分を重ね合わせて観るのでしょう。

今回私が感情移入したのは、死にそうなジェレミー・アイアンズだったというのが、私らしいというかなんといいましょうか。

でも、自分の命の灯が消えようとしている時に、若さと、若さゆえの無垢さ・美しさというまぶしい光に包まれて、過ぎ去りし日を思い返し、その暖かさの中で死ぬ・・・これ、理想の人生の終焉です。

主人公の母親の友人(女性)がラストで「私はもう故郷に帰りたい」と夫に打ち明けるシーンで、彼女は20年前に起きたことを知っていて、ずっとトスカーナで主人公の訪れを待っていたのではないか、と今回の鑑賞で思いました。

これもきっと、私が歳をとったから思うことなんでしょう。

ひとつぶで何度でも美味しい映画です。


イタリアのぶどう畑が画面いっぱいに出てきて、緑の美しさで目が洗われるようです。
自然と、命の美しさ。それは時の力を借りて、思い出に結晶してゆくのですね。




楽園の住人

北海道生まれ北海道育ち。現在、ぶどう畑の傍に住む。