前にここでふれた私のタロット師匠について、書いてみます。
そのタロット占いの店が出来て、間もない頃だったと思います。
今は何がきっかけだったのかも覚えていませんが、多分、ひとりでふらりと入ったのが最初でした。
私が20代半ばのことです。
それから占ってもらいに・・・というか、お店の居心地の良さにたむろさせてもらって。
占い室の奥の控室にはこたつがあって。
そこで知り合った人たちと毎日のように、それこそ膝を突き合わせて話し込んでいました。
そのうちに先生が、弟子をとることになり。
私は二番目でしたがタロットカードはよく読めず、西洋占星術が得意分野だったので、毎月の星占いを担当させてもらい、それを紙に書いて店の外に貼り出したりしていました。
今思えば、自身のブログやHPでの占いコンテンツ公開みたいなものですね(笑)。
私が結婚してから、そのお店からは徐々に足が遠のいていきました。
お店に入り浸っていたのは7年ほどの間でしょうか。
いつの間にかそのお店もなくなり、すべてはもう戻らない青春の一頁か~と、思い出すこともなくなっていました。
が。
それから16年後、先生とばったり再会しました。
場所は札幌ドーム。
日ハムのアジアンフェスタの屋台の手伝いに来ていた私が、開幕始球式の出場にドキドキしながら屋台の前をウロついていた(失礼)先生を見つけたという。
お店は移転して、タロット占いは続けているとのことでした。
それから年に一回くらい会うようになり、ブログもやっているというのでたま~にコメントを入れたら「集まろう」ということになり(前々回のブログに至る)。
もう完全に途切れたと思っていた縁が、SNSとかじゃなく(笑)まったくの偶然で合流する不思議さ。
縁というのは、そういうものなんでしょうね。
数年前の先生との再会が、今ここにおいて、それまでの自分史アーカイブの締めに繋がったような気さえします。
「みんなに言っておくよ」と、あの夜、先生は言いました。
「明日はどうなるかわからないんだ。だから今を精一杯生きてほしい」
運命が見えても見えなくても。
この先、自分が見守ることができなくても。
人を見る目もそうですが、時系列の変換という視点も先生からもらったものかもしれません。
都に出てきたら、また会いに行きます。
楽園の住人
北海道生まれ北海道育ち。現在、ぶどう畑の傍に住む。
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